自分のこと、本当に知ってる?分かってる?自分と向き合ってみる

あなたは本当に自分のこと、知っていますか?分かっていますか?

とある心理学者が言っていたことなのですが、SNSなどで公開するプロフィールというようなもの、あれらはすべて、「真実の自分」というより、「他人にみせたい自分、こういった人だと思って欲しい自分」、「自己演出した自分」というようなことらしいのです。その自覚の有る無しの程度は、個人で差があるとは言え…。

我が身に置き換えてみました。たとえば、私は映画好きです。好きな映画は?と尋ねられたら、心をゆさぶられたと思う映画を答える、はず…。でも、その映画を相手が知らないかも?あるいは、目の前の相手をリスペクトしていたりしたら、その映画ではなく、相手がその答えを気に入るような映画の題名を挙げてしまうかもしれない。次から、その質問してきた相手の、親しい友人たちと会ったときは、「その映画がいちばんに好きな人」という紹介をされ、その映画を好きと思える人との交流が深まっていくので、自分でもその映画がいちばん好きだったかな、という錯覚が起きてくるかも知れない…。でも、本当は、いちばん好きな映画はその作品ではなかったのです。

私たちは、他者との関係性の中で、自分を形作っていく面があります。それは、「装っている」、「自分を偽っている」とか、そういうことではないのですが、多少の演出がなされていることは確か。多少の演出を、単なる誤差、ととらえるか、演出はダメ!と厳しく考えるか、…それは人それぞれのさじ加減でしょうけれど、それをつづけていくうちに、自分というものが、本当はどこにあったか、なにをしたかったのか、そういうことがわからなくなってしまうのではないか、そういう危惧が生じてきます。

身近な知り合いの話です。かつて、その人は、趣味を同じくし、同じ団体に所属する仲間でした。彼女は、その活動を「一生涯通じて行いたい、ライフワーク」とさえ、言い切っていました。また、彼女は「私はこの活動を心底愛している。だから、不真面目な気持ちで携わって欲しくはない!」と他のメンバーに厳しくあたることも少なくありませんでした。私を含め、幾人かは彼女のその言動に多少の違和感を覚えたものの、「真面目なのね、真剣なのね」と流していました。

その彼女が、活動にあまり熱心に参加しなくなってきたのです。自分の尺度で不真面目だと判断する、他メンバーに対し、厳しく接してきた彼女。生半可な理由で、活動を怠けることは、心証的にあまりよくありません。実際、彼女にキツイことを言われて、脱退したメンバーもいました。それを恨みに思っている人も中にはいます。そんなことも薄々察知しているのでしょう。「ケガをした」、「体調が悪い」「起き上がれない」…、そのような理由で彼女は不参加の理由を説明してきます。しかし…。

「こないだの活動日のあとに、元気そうな彼女を見かけたの!楽しそうに友人たちとランチしてたわ」「起き上がれない、腕を骨折した、なんて言ってたけど、クルマ運転してた…」などの目撃情報。いったい、彼女はどうしてしまったんでしょうか。

答えは簡単です。彼女は無理していたのです。見せたい自分を過剰に演出していただけだったのです。また、そういう自分に陶酔してもいたのでしょう。多分に、「必要以上の自分語り」することに、私たちは常々慎重になりたいものです。そのことで、のちのち自分のクビを絞めることのないように、真実の自分を見失わないためにも…。

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